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筆のまにまに

2011/05/05

地球物理学科にいて地球のなんたるかを知らず。もうどうしようもない。

土下座なんていうバカなことをさせてなにをどうしようというのだろうか。

軍隊をしむけて人を殺して、群衆歓喜す。もうたれもかれも狂っている。

2009/11/11

研究などといって、その結果が10年、100年後にどう評価されるかなんてわからない。それはむなしさでもあり、またはそれが研究の原動力だったりもする。研究スタイルなどといって、あるきまりきった枠の中でしかいい研究が生まれないというわけでもない。逆に言えば一般社会には受け入れがたいようなスタイルをもった人こそ、ショーガナイから研究者として受け入れられているのかもしれない。思想などといって、それに反するものを強制的に排除するのは、それは暴力的思想であろう。この世の中には対話と想像力が足りない。

2009/10/1

今年の夏は、学会があって、3週間ほど、ロシアと東欧諸国をめぐってきました。ロシアとか東欧って、どうも20世紀の暗いイメージがつきまとうけれども、地理と歴史を考えれば、まさにヨーロッパの中心であって、すばらしい文化がいまなお息づいている。ロシアは別として、いまや東欧諸国の多くはEUのメンバーであって、出入国も気軽なものなんだから、日本人ももっといっぱい遊びに行ったらいいのにと思う。

外国を遊んでいるあいだに総選挙があって、ぼくは投票できなかったけれども、2年前の参院選とまったくおなじ結果になったようで、あらためて、この2年間はなんだったのかと思う。ところで日本の制度では、公示から投票日までの期間、ずっと日本にいない人は、まったく投票する権利を失うのですね。海外でも投票できるとか、もうすこしなんとか融通がきいてもいいと思う。

2009/6/16

制裁、制裁って・・・人が人に制裁を加える権能がいったいあるとでもいうんだろうか。

青山でやっている「精神」という映画をみた。岡山の精神科の診療所にあつまる人々をナレーションも音楽も、そしてモザイクもなくただ映し出す。医師による診察の場面では、まるで自分が治療されているかのようであり、診療所の中の人々の会話は、まるで自分もそこで話を聞いているかのようであった。

2009/5/21

反省すべきことは多々ある。能力の欠如は置いておくとしても、学会に参加しているんだから、自分さえ発表できればいいとか、自分さえ首尾よくできればいい、とかいうのはちっともおもしろくない。ぼくらは学術の発展にみんなで貢献すべく集まっているんだから、もっと広い視点で、もっとリベラルな気概をもって、人に接し、ふるまっていかなくちゃいけないんだといつも思うけれども、そうならない。

コンビニでふつうっぽいアイスを手にとってレジにもっていったら、210円です、と言われて、一瞬、え?これそんな高いんですか?じゃあやっぱりやめます、と言いかけたが、ぼくも給料をもらっている36才なので、甘んじてお金を払った。でもなんか腑に落ちない。

2009/4/29

宅急便が届くということで夕方家に帰って飯を食いながら「鹿島アントラーズ−ビッセル神戸」の試合を見た。そこそこおもしろかった。その後また家に帰って「バルセロナ−チェルシー」の試合を見た。なんなんだこのレヴェルの違いは。ぼくはサッカーはよくわからないんですが、エキサイティング具合がぜんぜんちがうね。生で見たらもっと100倍くらいエキサイティングなんだろうね。

cup noodle my vending machine
2009/3/31

カップヌードルMYベンディングマシン、当たりました。専用コインを入れてボタンを押すとゴトッと(自前で買ってストックされていた)カップヌードルが出てきて、給湯ボタンを押すとお湯がちょうどの分だけ出るみたいです。ぼくはそれほどカップヌードルのコアなファンというわけではありませんが、これからコアになりそうな気がします。

2009/3/20

よく、どこそこは治安が悪い、とか、治安が悪化している、などという言い方を耳にするが、なにか違和感を感じる。結局のところ、社会というのは、人間対人間の関係の集まりだと思うが、人間どうし、一対一の関係に対して、十把一からげに「治安」などという言葉をあてはめてしまうことに、とまどいを感じる。どこか外国に行って、その町の治安が悪い、などと不平を言ったとしたら、その瞬間、自分自身もその町を構成するメンバーの一人になったのにも関わらず、自分と他者との関係を棚上げしているような、無責任さを感じる。わたくしたちは、まあ当たり前といえば当たり前だが、自分を周囲から特別視して、(トルストイの言葉を借りれば)自分を同胞から分離して、慢心しがちなものであるが、それは無責任であって、自分も社会の構成メンバーの一人であることに注意しなければならない。

2009/3/6

ずいぶん昔に動物占いっていうのがはやったと思いますが、水前寺清子は「チーター」で、千代の富士は「オオカミ」でした。グレート小鹿っていう昭和のプロレスラーは、生年は1942年なんですが、wikipedia によると1940年生まれという説もあるらしく、そちらを採用すると「子鹿」でした。興味ないと思いますがぼくは「タヌキ」です。

2009/3/2

春ですね。空き地で、オスの鳩がメスの鳩のうしろを長いこと追い回していた。あわれだねオスは。来世があったらメスだ、メス。

2008/12/30

田舎の子どもが方言でなく標準語を話している、というような新聞かなにかの記事を目にしていたが、秋田のけっこう田舎なところで、地元の高校生らしき若者が完全な標準語(いわゆる東京の若者言葉)で会話しているのを聞いて、愕然とした。

2008/12/03

東京新聞の夕刊のコラムに、昭和女子大学学長の坂東眞理子がいいことを書いていた。人が、自分さえよければよいという自己利益主義にたって、社会的信頼を裏切り、ときに法まで犯してしまうならば、そうした行為を抑制するために、社会は高いコストを支払わなければならない。人間どうしの信頼というのは大きな社会資本 (social capital) である、云々と。法を犯すのは論外としても、有り体に言えば、自分さえお金が稼げて、いい暮らしができたらそれでいい、みたいな自己利益主義は、結局のところ、全体の負担を増すばかりである。社会格差の問題しかり。公害問題、環境問題しかり。そしてそのもっとも大規模の例が軍隊だろう。テロとか武力による争い、威嚇といったものがないのだとしたら、あれだけの軍事費は必要ない。信頼の欠如、これが諸悪の根源である。

2008/11/28

こんなものを買った。Lava lamp というらしい。水のなかに色つきの蝋がはいっていて、ランプの熱で温められて、ぷかぷか浮かんでは沈む。蝋の熱膨張率は水の2〜3倍あるらしく、かつ熱伝導度は水より悪い。当然粘性も水より高い。蝋の密度を適当に重くしてあるので、こういう浮き沈みが起こるらしい。おもしろい。

2008/10/01

何事も、するべきことに遅すぎるということはない。ほんとうなら去年の参院選で与党が大敗したときにすぐ解散して民意を問うべきであったところ、1年以上も空白の時間が費やされている。しかし遅すぎるということはないのであるから、民主主義の字義通りに与党は下野すべきであろう。そうでないならこの国の人間は狂っているとしかいいようがない。

2008/08/09

喫茶店に置いてあった毎日新聞を拾い読みしていたら、いつまでたっても、長崎原爆に関する話題が出てこないので驚いた。くまなく探したあげく、ようやく第2社会面に小さくその話題が出ていた。被爆国日本がこのありさまであるから、世界では原爆の悲劇などとうに忘れ去られているのだろう。

2008/08/02

Study of Earth's Deep Interior の学会で、中国の昆明に行ってきた。今回はコアダイナミクス一色という感じで、マントル関係や高圧物理、古地磁気の影が薄かった。というより、学会の議論を先導する人たちがコアに興味をもっていることの結果であろう。いずれにせよ近年まれにみる楽しい学会であった。

楽しさをさらに盛りたてたのは、昆明の雰囲気である。雲南省の省都であり、近辺の少数民族の人たちも集まってくる。どこの民族か知らないが、まじぼく好みの顔の雲南美人がいた。昆明は沖縄よりやや南くらいの緯度にありながら、標高が高いので、年中気温が適度で、過ごしやすい。老後は昆明に移住しようかなと思う。バスの爆発がどうだとか、農薬入りギョウザがどうのとか言っている人は、それらに根本的にどう対応するかはさておいて、少なくとも第一印象的態度として、どうかしていると思う。

M7.7-600km
2008/07/07

あら、もっと深発地震。

M5.9-350km
2008/07/04

あ、深発地震。

2008/06/20

熱湯の入った器に水を注ぐときと、冷水の入った器に水を注ぐときとで、発生する音の周波数が有意に変わる気がするのだが、気のせいだろうか。熱湯のほうがコポコポといった感じなのに対し、冷水のほうはジョボジョボといった感じ。理科年表によると、水中の音速は温度とともに増大し(ふつうの液体では逆に減少する)、約74℃で極大をとる、らしいのだが、それとなにか関係があるのだろうか。

2008/04/11

国土地理院の地形図閲覧サービスがリニューアルされましたね。シームレスに隣の図に移動できて、ズームもできる。これ見てると時間がたつのを忘れてしまう。いかんいかん。

数学の問題 東大入試数学
2008/02/29

本年度東大入試「数学」第3問、的中しました!

高校時代に趣味でつくった問題なんですがね。じゃっかん設定は違いますが、正8面体を回転させてみようというその心意気を買ってほしい。ちなみに答えは (13π√6)/36 のようです(東大のほうの答えは (5π√6)/54 らしい)。

2008/02/06

瓦屋根に雪まだ少し残りけり

2008/01/20

女子のみなさんというのは、バッグや紙袋などを持ち運ぶのに、手でつかまず、バッグなどの持ち手の部分に腕を通し、ひじを折り曲げて、そのひじの内側のあたりに持ち手を引っかけて運ぶことが多いように見受けられる。わずかのことでも、日々、二の腕を鍛えておられるということは、わたくしも男子の一員として、見習うべきことであるなと思う。

2007/11/29

りそな銀行の口座をつくろうとしたところ、通帳なし、カードのみの口座だと、ATMの時間外手数料が無料です、といわれたので、さっそくその口座を開いたのだが、コンビニのATMでお金を預け入れたら、手数料をとられた。コンビニのATMはつねに手数料をとるらしい。だまされた気分だ。預け入れなのに手数料をとるというのも、しっくりこない。まったくサービスがなっていない。

2007/10/08

無事、日本に帰ってまいりました。見守る、ということは、なかなか深いことばであると思う。見守られて、人はのびのびと力を発揮するであろうから。

2007/09/21

ロサンゼルスは夕方から雨。10ヶ月いてこんなのははじめてだ。帰る日に雨なんて、雨雲の心意気を感じる。

2007/09/16

数値計算のプログラムのバグがとれて、爽快な気分でビールを飲みつつ夕飯を食っていたら、虫歯の詰めものがとれた。バグがとれて虫歯の詰めものもとれる、ってなかなかうまいものだと我ながら感心。あと一週間で帰国であるから、このままにして日本で治そうと思う。

2007/09/12

アパートの同居人 (40歳) がどうしてもっていうので Universal Studios に行ってきた。おっさん2人でローラーコースターに乗ったり、滝を滑り落ちてびしょぬれになったりしたわけだが、思ったより楽しかった。日本の USJ がどういうのかぜんぜん知らないが、本家のは、実際に映画やテレビ番組をつくるスタジオを巡るツアーがあったりして、映画が好きな人なら、きっと説得力がある内容で、入場料 60 ドル分はあるのだろう。観光地ってどこもけっこうボッてるなという印象をもつ。

カナダ某所の露頭 カナダ Elliot Lake にて
2007/09/03

先週、地質調査の手伝いに、ミシガン州北部からカナダのオンタリオ州あたりの、五大湖に沿った地域(カナダ楯状地)を巡ってきました。久しぶりに自然に触れ、いい気分転換になりました。帰ったらロサンゼルスがものすごい暑くなっていた。

2007/08/19

アイスクリームの自動販売機が大学構内にあったので、1個買ってみた。まずお金を入れると、クーラーボックスみたいな形をした冷凍庫の上蓋がパカッと開き、次いで欲しいアイスの番号を押すと、ウィーンという掃除機のような音とともに、上から垂れ下がったホースが、ちょうどUFOキャッチャーのアームのごとく、選択されたアイスの上空まで移動し、ホースへと吸い込まれる空気の吸引力でもって、アイスを見事に吸着し、そして取り出し口のところまで再移動してアイスを離す、という、まったくファンタジーとしか言いようがないすごい方法で出してくれた。この一部始終がガラス越しに見えるというところがまたすばらしい。ふだん寡黙なぼくをして、思わず「おおっ」と驚嘆せしめるにじゅうぶんな仕掛けであった。「よし、落とすな、もう少し」みたいに、ホースがんばれ的な興奮も感じた。合衆国万歳。

2007/08/16

年季のいった歌い手が、せっかくいい歌なのに、それを何年も歌いこんだ挙句、アレンジにアレンジを重ねて、わけのわからない曲にしてしまう、というケースをしばしば見かける。人間も同様で、年を重ねるにしたがって、もともとのすばらしさをわざわざ失ってしまいがちなものである。

2007/08/12

夜寝るときに、風が吹いて木の葉がかさかさいったり、雨音が屋根に響いたりしたとしても、それで眠れないということはない。こういうのは環境音で、むしろ生理的に心地よい感じをもつ場合さえある。ところが自動車が走る音というのは、ちょっとそれらとは異質な音のように思える。たとえばMT車がギアを変えながら加速するときの音なんか、運転者の意思を周囲に発信しているようで、これは酔っ払いが管をまいてわめき歩いているのとそう変わらない。

2007/08/08

ぼくは中学、高校あたりのとき、井上ひさしの小説が好きだった。「月なきみそらの天坊一座」という小説で、主人公が、手品師とは人を気持ちよくだます職業だ、っていうことを言うときに、「金を稼ぐには働く(労働者)、かすめる(使用者)、だます、盗む、のいずれかの方法しかない」と看破するのが印象に残っている。すりにしても、もし3万円財布にあったら、1万だけ抜いて、2万は返しておくとか、そういう思いやりのあるやり方だったら、ぼくは、この主人公の詐欺まがいのいんちき商売とともに、許せる気がする。この小説はNHKでドラマ化されて、それもすごくよかった。

金を稼ぐ、っていうのも立派なことに違いないが、人に養ってもらう、というのもまた立派な人生である。人生でなにをなすかが重要なのであって、別に稼いでいるから偉いというわけでもない。たくさん金を稼いでいるから大きな顔ができる、逆に金を稼いでいないから肩身が狭い、なんていうのはどうしたっておかしなことである。

2007/08/06

旅をしていて、ガイドブックに載ってるような名所旧跡をたずねるのは、きっかけのようなもので、実際の旅の楽しみは、もうちょっと別のところにあるのかもしれない。電車に乗り遅れちゃった、とか、そういうのも含めて。人生を旅にたとえるとすると、やっぱりそういうようなことなのかもしれないなと思う。

2007/07/31

ローマの旅行案内を見る機会があって、そこには、すりに注意、かばんは前にかかえてなど、まるでローマ人を見たらすべてすりと思えといわんばかりの書きようであった。それはどうかなと思った。ぼくはトイレで排便するときに、ズボンの後ろのポッケに財布があると気持ちが悪いので、財布は適当なところに置いて、それから便座に腰掛けるのを常としているが、数年前、ニューヨークの近代美術館のトイレで財布を置きっぱなしにしたのを忘れていて、館内放送で呼ばれてはっと気がつく、という苦い経験をした。同様のミステークをここ UCLA でも数ヶ月前にやってしまって、あと東大でも2回くらいやったことがある。もうすまい。でもいずれもちゃんと財布は戻ってきたぞ。きっとローマの人だって誰だって財布を拾ったら交番に届けてくれるんじゃないか。ローマ人はすべてすりと思え、みたいに考える人の、その考え自体が、すでに人として罪深いものだと思う。とはいえ、学会期間中、すり(というか置き引き)の被害にあったという人を少なくとも2人知っているので、実際そういうのは多いのかもしれない。

2007/07/24

旅券の発行手数料は基本的に4000円(都道府県に払う分も含めると6000円)で、その他に、旅券所持期間1年につき1000円の「負担金」をわれわれは国に払ってるんだそうだ(だから10年有効の旅券なら総額16000円、5年物なら11000円を旅券発行時に支払う)。そしてこの負担金は、海外での邦人の保護など、在外公館がなすべき日本人向けサービスの経費にあてているのだそうだ。3000万人が旅券をもってるとして年間300億円。在外公館が150ヶ所あったとして、1ヶ所あたり年間2億円。海外の日本人に対するサービスにこれだけの経費がかかるはずもないから、実際は家賃とかもろもろの維持費にあてているんだろうか。ともかく在外公館は(外交官の給料を除けば)おおむね旅券手数料だけで維持されているといって言い過ぎではなかろう。外務省はなぜこういう事実を旅券申請者に知らせないのだろうか。なんか内輪でこそこそやってるような印象を与える。

2007/07/23

10月から(実際は11月から)学部の授業を受けもつ。いったい自分がこの立場にいることじたい信じがたいが、なにか燃えるような熱望がいま自分にあるわけでもないので、とにかく与えられた仕事をこなすことに専心するのみである。わたくしの場合、はずかしながら、大学学部の授業なんて、ほとんど記憶にない。原型をとどめていないだけで、こやしにはなってるのだと信じたいが、まあそんなものかなと思う。一番印象に残っている講義は、駒場の英語(シェイクスピアを読むやつ)とやはり駒場の電磁気学である。前者は試験がハムレットの独白の暗誦だった。ものすごい紳士な人で、教室に遅れて入ってきた学生に、黙礼もなにもせずに入ってくるとは何事だ、と小一時間説教した。それ以来、ぼくはなにかで遅れて会場に入ったりするときに、誰にするでもなく礼をする癖がついている(しないとその人に怒られそうだから)。英語の上達になにか寄与したかどうか定かでないが、ともかく印象に残っている。後者の物理の先生は、当時新任の若い方で、分厚いノートを持ち込んで、大量の板書、定理の説明、証明、例題の解答、その連続、という淡々としたものだった。この方とは入試の採点作業で数年前にお会いしたのだが、新任で東大生になめられないようにすごい準備をしたそうだ。これらの先生には遠く及ぶべくもないが、いったい自分は他人の行く末になにか残せるのだろうか。

2007/07/22

リトル東京まで選挙に行ってきた。私語のうるさいおばさんがいて辟易した。ぼくはロサンゼルスに住んでるからいいが、郵便投票という手段もあるにせよ、もっと遠くの町にいる人は大変だ。せっかくリトル東京まで行ったので、ラーメンを食ってきた。それからうなぎの蒲焼を求めてスーパーにも立ち寄ったのだが、そこでモンテールのロールケーキを発見。思わず買いそうになったが、よくみると賞味期限が書いてない。日本市場向けだったら賞味期限が印刷されるべき箇所が空白になっている。どこのだれが食べようと、賞味期限は賞味期限だと思うのだが、輸出用にはその表示義務はないから表示しない、っていう論理なのか?うなぎは日本の市価より1.5倍くらい高い感じがしたが、縁起物ということで購入。これも調理年月日が書いてなかったんだがな。まあいいや、縁起物だ。

2007/07/20

参院選の投票期限は、ロサンゼルスでは今週末までなので、まあ明日かあさって行こうと思う。国会議員というのは、地元や業界の利益を代表して活動する、それがふつうのこと、というふうになっている。もちろん要望役も必要であるが、しかしみんながみんな要望しあっていても、公平な社会は期待できないだろう。科学研究の予算の審議は、おおむね科学者どうしがお互いの要望を審査しあう、という形式をとっているが、しかし最終的には、利害の関係ない人が、その要望を承諾するか拒絶するかを決定している(と信じる)。そうでないと研究費の公平な配分は期待できない。国の予算配分にしても、利害の関係ない、中立的な立場の人が決定権をもつようにすべきだし、もし自分が国会議員だとしたら、自分に関係のある案件に関しては、これは自分に関係しますんで、みたいに意思表示を遠慮すると思うんだけれども、そういう意識って議員連にはかけらもないんだろうな。そういう意味では、裁判員制度をやるついでに、国会議員の一部も、国民から無作為に選んでみたらどうかと思うが如何。

2007/07/18

風邪をひいた。きのう一日寝込んだのできょうはやや回復した。

2007/07/15

手数料をどう決めるかだが、旅券でもなんでもいいけれども、年間あたりの申請数を N 件としたとき、年間の必要経費はおそらく F(N) のように、N の関数で書くことができるだろう。そして予想される申請件数が N0 と見込まれるとき、1件あたりの手数料 k は、

F(N) ≒ F(0) + k N

k = [F(N0) - F(0)]/N0

などとするのが妥当なのではなかろうか。これ以上払わせたいんなら、もはや「手数料」という言葉は使うべきではなく、「○○負担金」などと、使途を明らかにすべきである。

2007/07/14

憲法には学問の自由というのも記されていて、義務教育は無償ということになっている。しかしまあ大学の授業料の高いことといったら、いったいなんなんだろうか。これを手数料と見るならば、あまりにも法外である。大学の運営自体を授業料でまかなおう、というおよそ公共の機関とは思われない思想に基づいた金額である。大学を専門学校の一種と考えて、卒業後専門職に就いて、それでがっぽり稼いで払った分取りかえして下さい、みたいな、個人技能の習得、それも金銭を得る目的の技能の習得に、学問というものが落ちぶれてしまうんならそれはそれでいいのかもしれないが、大学っていうのは、もっと開かれた、公共の利益に供すべきところではないのだろうか。結局大学が専門学校化し、そのうち高校も専門学校化するというのが、世の流れなんだろうか。

アメリカの大学は基本的に国からの援助がなく、学費はきわめて高い、という話はよく聞く。それでもなんとかうまくいっているのは、アメリカという国の強さなのだろう。なにしろ留学生の数が尋常ではない。(傍目には)なにもしなくても知が流入してくる。ドイツでは大学の授業料はこれまで無料だったが、最近有料化されたらしい。国は戦争のための資金だけを確保し、学問なんてものはどんどん民営化しちまえばいい、っていう世界的潮流は止められないのだろうか。

2007/07/12

わが文京区選挙管理委員会の名誉のために述べておくと、例の在外選挙人証は、申請から1ヶ月と2日たって手元に届いた。やればできるんじゃないか。というわけで、はりきって選挙に行こう。

ぼくの場合、領事館での手続き→郵送→選挙管理委員会での手続き→郵送→領事館での手続き→郵送、という入り組んだ手順を経ており、二重投票を防ぐためにいろいろ関係諸課と照合作業をする必要もあるだろうから、まあ1ヶ月は妥当である。この申請じたいは無料であるが、これだけ書類のやりとりが多いと、郵便代くらい実費で払ってあげたほうがいいような気もしないでもない。

役所の申請には手数料をとるものが多いが、ただそれも実費の範囲内に限るのであって、その申請に携わった役人の人件費とか、そこまで負担する必要はないだろう。わたくしがこれまで支払った手数料の中でもっとも法外だったのが、パスポート(旅券)の手数料だ。あんな手帳一冊作るのに、なぜに万単位のお金を払う必要があるのだろう。海外渡航の自由は、憲法でも保障された基本的人権である。法外な手数料はこの人権を制限する。まあもっと憤慨すべきことはほかにいくらでもあるに違いないだろうが、でもだれか手数料返還訴訟とかおこしてくれないだろうか。

2007/07/11

学会運営しかり、イタリア人は時間にルーズというか、細々したことにこだわりがなく、時間をのんびりと使っているように見受けられることがある。しかし結果としてなにか不都合なことがあるかというと、それほどでもない。たとえばなにか時間に遅れそうになっても、その次のやつもまた同様に遅れているから、結局全体として時間が後ろにシフトするだけで、なんら問題がない。よっぽどのことがないかぎり、万事うまくゆくだろう、的な一見ルーズな態度は、ある意味すべて計算しつくされた精緻な処世術であるかもしれない(そうでないかもしれない)。

シチリア島のエトナ火山 ポンペイ遺跡
2007/07/10

学会はペルージャという町でありました。発表のプログラムがちゃんと決まっていないなど、学会運営に批判を述べる人が散見されましたが、そういう人は、みんなで力をもちよって、学術の発展に貢献しあおう、というよりも、自分が一方的に発表する、発表できればそれでいい、みたいな自己満足の種族の人なのでしょう。

学会のあと、3日ほど休みをつくって、ローマ、シチリア、ポンペイ遺跡と行ってきました。行ってきた、といっても、ぼくはただ乗りものに乗って、運ばれてきただけですが、イタリアの生活のちょっとしたところを垣間見れて、たいへん有意義でした。

ひまわりがみんなあっちを向いている

こんなおれにもはえがたかっている

2007/06/29

明日から10日間ほどイタリアに行ってきます。イタリアの電気の差込口って ○ ○ ○ みたいに3本足でおもしろいですね。

2007/06/27

「ゆうべ」(秋田弁だと「ゆんべ」)というと昨日の夜のことを指すが、英語だと last night という。yesterday night とは言わない。昨日の午後は yesterday afternoon で、とくにそのための慣用的な言い方はない。毎日顔を合わせるような間柄であっても、昨日の夜の出来事というのはお互い知らないわけで、なにかと話題にのぼりやすいわけだ。そうするとそれに対する特別な言い回しが自然発生する。言葉というのが生活に根ざしたものだということを示す好例といえるのではなかろうか。

2007/06/26

ところで You should do … と You had better do … とで、どっちがきつい言い方だと思いますか?わたしの感覚からしたら You had better のほうが、遠まわしというか、より穏やかな言い方だと思っていたのだが、実はそうじゃない。You should のほうが、別にその勧告に相手が従わなかったとしてもなんの問題もない、弱い言い方なのに対して、You had better は You must に近い、どっちかというときつい言い方なのだそうだ。わたしがいつも使っている研究社新英和中辞典 (第7版) にも、had better の用法のところで、

主語が 1 人称以外の時には忠告・命令、また時には威嚇の意味合いをもつので、特に 2 人称では目上の人には用いるべきでない、

とわざわざ注意喚起している。これってすごい基本的なことだけれども、高校英語だと「should = 〜すべきだ」「had better = 〜したほうがよい」としか習わないから、しかたがないといえばしかたがない。

Westwood のやしの木
2007/06/23

UCLA のある Westwood には、映画館とかお店とかが集まっている一角があって、そこでいま LA Film Festival というのをやっている。この夏封切りされる映画をはじめ、いろんな国のいろんな映画が見れるみたいだ。南米とかアフリカの映画とか、なかなか日本では見る機会がないから、ちょっといってみようかしら。ところでこのやしの木、その Westwood で撮ったんですが、なんかすごいと思いませんか?

2007/06/21

大学っていうのは専門家を養成するところなんだろうか。大学院はたしかに専門家を養成するところだろう。でも大学が専門化しすぎると、今度は高校までもが、受験対策の名のもとに専門化される(現にぼくらの頃でさえ普通科でも理系コースとか文系コースとか分けられていたものだ)。どこかで歯止めをかけないと、万事が上から下へのありさまだ。いっそ大学の教養課程は単一コースにして、入学試験も全部いっしょにしたらいいと思うのだが、そうもいかないのだろうか。文系、理系なんていう屁みたいな分け隔ては、そうしたらすこしはなくなるだろう。

2007/06/19

サラブレッドって thorough bred (ソロウ ブレッド)、すなわち完全に育てられたもの、っていう意味だったんですね。あまりにも日本語になっているので気づかなかった。

commencement
2007/06/16

アメリカでは学位授与式を commencement という。始まり、青春ですな。学部ごとに、こうやって外で、ひとりひとり名前が呼ばれて、学位記をもらっていた。学部ごと、というのがみそで、東大みたく総長のありがたいおことばを聴くだけの式だと、個人としての充実感がいまいちだ。なにをするにつけても、それにふさわしい規模というのがあると思う。

2007/06/12

合衆国の50ある州ごとにそれぞれの絵柄の25セント硬貨 (state quarters) が発行されていて、3ヶ月くらい前からそれをしこしこ集めるのを日々の楽しみの一つとしているのであるが、今日財布を確認したところ、合衆国第一州 (the first state) である Delaware のを発見して、思わず「デラウエアきたー」と叫んでしまった。

2007/06/10

夕方アパートの同居人 (40歳) と Cheviot Hills Park でキャッチボールをした。おたがいいい年なので、息もあがって、早々に切り上げた。ところで汚いボールのことを scuzz ball といって、いけすかないやつ、という意味でも使うのらしい。前々から SCSI をなぜスカジーと呼ぶのか疑問だったのだが、この scuzzy とかけていたんですね。

2007/06/09

アメリカ英語では t 音が語中にくると d 音に近く発音する。たとえば「ベター (better)」 が「ベダー」、「ゲットアップ (get up)」が「ゲッダップ」、など。これは秋田弁と似ているね。まあ実際は「ベラー」「ゲッラップ」という表記が一番近いのかもしれないが。

2007/06/05

来月国政選挙があるとかいう話なので、在外投票の申し込みに、ダウンタウンにある領事館へ行ったのだが、投票するには、まず「在外選挙人証」なるものを日本から取り寄せなくてはならず、それが届くまでには申し込みから2ヶ月程度かかります、とのことなので、結局来月の選挙まで間に合いそうになく、まったく無駄足になったかもしれない。船便ででも書類を送るのだろうか?まったく事情がわからない。選挙管理委員会は投票率を上げたいのか、下げたいのか、どっちなんだろう。まあこれから外国に長期滞在される方は、住所が決まったらすぐ「在留届」とこの「在外選挙人証」の申請をお忘れなく。

2007/06/04

家で夕飯をつくるのを毎日の楽しみにしているのだが、きょうはふとした気分で、豚肉を炒めたのに、仕上げに冷蔵庫にあったさくらんぼのジャムをひとさじ入れてみた。悪くはなかった。豚肉には、りんごとかパイナップルとか、果物関係が合うのかもしれない。

2007/06/02

ATMで銀行口座にお金を預け入れるには、金額を入力し、備え付けの封筒にお金(または小切手)を入れて封をし、預け入れ口に入れる。するとATMはその入力された金額と口座番号などを封筒に印字し、それを銀行員があとで回収して、手で勘定して照合するのらしい。よく考えると日本のATMは券種が混じっていようが、硬貨だろうが、問題なく自動で勘定しているが、これはメカニカルにかなりすごいことだと改めて思う。まあそんな複雑な機械を導入するより手で数えたほうが早いのかもしれないが。

2007/06/01

わたくしのマザータングである秋田弁についてすこしまとめてみた。ろくに研究もせんで何をこんなくだらないことをしているのか、と叱られそうであるが、たとえば英語(によるコミュニケーション)を学ぶというときに、わたくし自身かなり厚い壁を感じざるをえないが、じゃあそもそも自分の言語的コミュニケーションってなんなのかと思い当たって、結局わたくしは秋田に18年ほど生まれ育ってきたわけなのだから、まず敵を知る前に、おのれを知るべきではなかろうかというわけで、ここ数ヶ月ほど書き溜めたものである。わたくし自身はこの作業にかなり楽しめた。これが今後にどう生かされるかはよくわからないが、まあともかく日本の中にこんなことばをあやつっている人々が暮らしているということを知っていただきたいものである。

2007/05/25

さくらんぼ帰りてもはやなかりけり

あじさいや帰るあしたは咲けるべし

2007/05/15

天皇皇后記者会見の内容から:

(皇后さま)心が悲しんでいたり不安がっているときには,対応のしようもなく,祈ったり,時に子どもっぽいおまじないの言葉をつぶやいてみたりすることもあります。不思議に悲しみと不安の中で,多くの人々と無言のうちにつながっているような感覚を持つこともあります。この連帯の感覚は,本当に漠然としたもので,錯覚にすぎないのかもしれませんが,私には生きてきたことのご褒美のように思え,慰めと励ましを感じています。

10年ぶりぐらいに心を打つ文章に出会ったような気がする。

2007/05/06

床屋にいって髪を切った。12ドル。12ドルは店の金庫にしまうが、最後にチップを渡すとそれはポッケにしまう。チップというやつはなかなか慣れないものだが、よく考えると、公務員や多くの会社員は月給のほかに賞与というのがあって、特別すごい仕事をしなくても、月給の2〜3ヶ月分くらい余計にもらえるというのが当たり前のようになっている。2.5か月分だとすると、割り算して 2.5/12 = 20% だから、まあまあチップの相場に匹敵する。という観点から考え直すと、料金というのは月給、チップはボーナスにそれぞれ対応すると思えば、特別すごいサービスを享受していなくても、まあそういうもんかなという気がする。あるいはチップに対して疑念を呈していると、じゃあボーナスって何、というふうにも思う。

2007/05/03

皮肉っていうのは文字通り肉をそぐような強烈な悪口のことを言うんですね。英語だと皮肉なという形容詞は sarcastic であるが sarc というのはギリシャ語で肉のことらしい。ただネットですこし検索してみると、日本語の皮肉は、達磨さんが言ったという「皮肉骨髄」から由来しているという説もあり、それもまたもっともに思える。こんど帰ったら日本国語大辞典で調べないといけない。

2007/05/01

テレビのローカルニュースを見ていると、インタビューされる一般人がすべて実名で報道される。ほんのちょっとの出演でもちゃんと名前とそのニュースとの関わり(近所の人とか通行人とか)が明示される。日本人はどっちかというと匿名を好む習性があるから、ちょっと驚きというか、そこまですることはないんじゃないか、と思ったりする。しかしニュースのソースを明確にするという点では意味のあることである。インタビューされた人も、(悪い事件でなかったら)一生の思い出として心に刻まれるというものだ。何事もオープンにいきたいものである。

2007/04/29

サンタモニカの市バスを毎日利用しているのだが、料金はわずか75セント、100円に満たない。さらに UCLA の関係者だと25セントで乗れる(残りの50セント分はUCLAがかわりに払ってくれる、そういう意味では市バスというよりは学バスといえなくもない)。ぼくなんかUCLAにはビタ一文も払っていないから、いつも悪いなあ、代わりになにかで貢献しないとなあ、と恐縮している。人口密集地を走るローカルのバスだから、ということもあるが、公共交通を赤字だ赤字だといって切り捨てる日本の行政はすこし見習ってもらいたいものだ。

2007/04/27

もう4月も終わろうとしているが、急に暖かくなったとか、そういう感じがあまりない。たしかに日は長くなったが、まだ冬の延長という感じがする(というよりも南カリフォルニアには冬がなくて、ずっと春みたいな気候がつづいていたともいえる)。日本というところは、ジェット気流が大陸の高い山を越え、さまざまな紆余曲折を経たちょうどそのあたりにいるから、天候の変化が激しく、冬から一気に春が来るという感じがする。いっぽう大陸の西岸に位置していると、ジェット気流はただ平らな海を渡ってくるだけで、毎日同じような気圧配置で、ある意味おもしろみがない。大学を9月入学にしようなどというわけのわからないことを考えている人々がいるらしいが、日本の4月年度始めというのは、気候的にもけっこう意味のあることではないかしらと思って見たりもする。

2007/04/16

こちらに在住している日本人の人と日本料理屋に行ってアワビの煮たやつを食べた。アメリカでこんなもの食べるとは思わなかった。

2007/03/25

家の近くの公園に藤の花がみごとに咲いていた。そのかたわらで子どもらがサッカーをしていた。

2007/03/09

ここ南カリフォルニアも花粉症の季節らしいが、わたくしに関しては、いまのところたいした症状は出ていない。花粉の種類が違うのか、なんなのかよく知らないが、とりあえずハッピーだ。

2007/03/08

日本の乗り合いバスでは、降りたい停留所を運転手に知らせるのに、たいていは「とまります」と書かれた押しボタンを押すけれども、こちらでいつも乗っているバスでは、窓のあたりに水平にワイヤーが張られていて、それを引っ張ると "Stop requested" という表示が音声とともに出るようになっている(押しボタンも併設されているが)。ところ変わればいろいろ変わるものだ。ところで日本の「とまります」というのは、乗客が運転手に対して「降ります!」ということを意味するために「とまります!」と要請しているのか、あるいはボタンを押された運転手の側が乗客に対して「とまります!」と告知しているのか、はたまたボタンを押した人が他の乗客に対して「すいません、次とまらせてもらいます」と恐縮しているのか、あいまいでよくわからない。いっぽう "Stop requested" のほうはまったく明解で、単にワイヤーを引っ張った人によってバスの停車が要請されているという、客観的な事実を述べているにすぎない。まあ「とまります」のほうも「次とまることが予定されています」という客観的事実を言っているのかもしれないが、必ずしもそれのみを意味しない。日本語というのはなかなか難しく、先を読むというか、まあよく言えば気配り、悪く言えば主観の押しつけで、客観的な事実を言うよりは、それプラスなにか別のこと、ていねいさとかおもんぱかりとか、そういうのを含ませる傾向にある。それはそれでいいこともあるかもしれないが、えてしてあいまいさを助長し、結局なにが言いたんだかよくわからないという害をときにもたらす。食品の消費期限をいうのに日本では「賞味期限」という語を使う場合があるのも同様だ。べつにうまいうまいと賞味しようが、他に食い物がなくていやいやながら食おうが、食品製造者が関知するところではないと思う。ふつうに Best before とか Use by とか、事実を客観的に述べればいいように思う。こういうのは日本語の性質、あるいは日本人の性質なんだろうが、英語で科学論文を書くときなんか、ちょっと気をつけていないと、客観的事実を述べるというよりは、むしろさらに別の主観的情報を加味したような文章を書きがちで、結局何が言いたいんだかよくわからないということになってしまう。

2007/02/13

きょうは虹を見た。ここロサンゼルスは地中海式気候というのに属するのだと思うのだが、たまに西岸海洋性気候が顔を出す。

2007/02/11

いろんなことがうまくいかなくて、道はまだ遠い。レイカーズも最近調子悪いし。道の先に目的はあるのか、よくわからない。結果が芳しくないとき、それをとやかく言ってもしかたがない。目的にたち返り、地道に歩き続けるしかない。英語の不定詞 (to do) が、目的と結果の両方を含意しうるのはおもしろい。女性は子供を産むなんとかとか、それは結果だろう。子供を産むことが人生の目的ではない。女性は子供を産むなんとかとか、目的だの結果だの、わけのわからないことをああだこうだ言っていないで、to do の精神で本質を見据えたい。

2007/02/02

今日は groundhog day という日らしい。groundhog とはもぐらのような小動物で、この日、穴から出てきて、春が来たかどうか確かめるという。ニュースでやっていた。節分とは違うけれども、同じ、春を迎える行事(?)だ。親近感を覚える。

hog は豚あるいは下品な人という意味がある。辞書をみたら memory hog という語があって、メモリーを食うソフト、あるいはそういうプログラムを走らせてまわりに迷惑をかける下品な人、のことらしい。学部演習で熱伝導方程式の初期値問題を解くのに、

parameter (nx=100, ny=100, ntime=10000)
real*8 temp(0:nx, 0:ny, 0:ntime)
do itime=0,ntime
  ・・・
end do

とかやるとこう呼ばれるんだろうな。

2007/02/01

基本的にわたくしたちは、この広い世界の中で、局所的な最適解を探索して細々と生きていけばいいと思うのだが、この世は有限であって、利害のインタラクションはぐるぐると連鎖し、あるいはまたどこかで境界条件を感じて、不本意な方向に跳ね飛ばされてしまう。この世に調和は訪れるのだろうか。ラプラス変換か何変換か知らないけれども、なにかうまい解法はあるんだろうか。

2007/01/31

奇をてらってヤギ乳のヨーグルトを買い込んだのはいいけれども、ちょっと食傷気味だ。動物園でヤギになめられた幼児体験がよみがえって。

2007/01/30

Super Nanny というテレビ番組があって(なんかテレビの話ばかりだな)、子供のしつけが手におえない親のもとにお助けおばさん (super nanny) がしつけの手ほどきにやってくるというものだが、根底にあるのは、子供は悪くない、事態を悪化させているのは親なんだ、という思想である。まあ一回見ただけだからなんとも言えないけれども、親が自分自身を愛し、自分自身の人生を楽しむことがすべての出発点であって、そのための技術は実に簡単なものであるというふうな内容であった。国際紛争も、だれか super nanny のような人に出てきてもらって、おたがい恥ずかしがらずに手をとりあえば、なんかすぐに解決しそうなもんだがなあ。暴力的な親のもとで子供が反抗しないわけがない。ところでウツクシイクニをつくるための教育再生会議とやらが提言書を出したようだが、これまた super nanny にならって、もっと大人の教育に精を出すよう大々的に提言してもらいたかった。すべての20歳以上の男女は毎朝般若心経を唱えること、とか。

2007/01/29

アパートを間借りして住んでいるのだが、その同居人がにこにこしてアイスを買ってきたといってバブルガムなんとかという味のをくれたのだが、本当にガムがアイスの中にちりばめられていて、まさに一杯食わされた。ジャンクフード大国アメリカ恐るべし。

2007/01/28

やることがたいしてうまくもいかず、空回りしているような気がする今日この頃、映画を見に行った。硫黄島からの手紙、ということで、日本語の勉強になった。戦争を別にして、硫黄島には大変興味がある。絶海の孤島であり、活発な火山島である。なにしろ、ドラえもんの道具の中でもっとも感動したのが、火山島をつくる素みたいなやつだったし、そんなわけで地球物理学科にきたわけだし、ともかく硫黄島には愛にも似た感覚をおぼえるのである。さて映画の内容は、ちと日本びいきな面があったが、逆にそれはアメリカ国内のいろんな屈折した感情、とくにイラク問題に対する思いみたいのが表れているのかなと思った。戦地に赴き、死んでいく人が最後に思うことは、どうしたって家族であり、愛する人であり、まさか天皇陛下万歳とは言わないだろう(そう言っていた人が最後に生き残る)。そんな家族という人と人の関係を粉々にしてまでする戦争ってなんなんですか、というのは日本人だろうとアメリカ人だろうとイラク人だろうと誰だろうと変わらないはずで、そういう空気があの映画館の中にあったと願いたい。さて来週は dream girls でも見に行こうかしら。

2007/01/12

パイロット、航海士、電車の運転士、タクシードライバー、いろいろあるけれども、もっとも尊敬すべき技能を駆使しているのはバスの運転手ではないかと思う。たしか吉野弘の詩にバスの運転手を賞賛するのがあったが、まったく同感である。ぼくももうすこし大きくなったらバスの運転手になりたい。

2007/01/07

カウボーイ(ガール)と馬の競技会みたいなのがテレビでやっていた。オリンピックなんかにも馬術という競技があるが、いまいち興味をもてずにいた。しかしこのカウボーイ版馬術は、競技内容(牛の群れのなかから一頭を囲いこむとか、猛烈な勢いで走って急停止するとか)もさることながら、人馬一体というか、天から与えられた肉体の練磨というか、なんだかスポーツの原点を見るようで、たいへん興味深かった。ただまあその後番組の bull riding (ロデオ)のほうはどうでもいい感じがしたけれども。

2007/01/01

ロサンゼルス郊外でおこなわれている Rose Parade というのをテレビで見た。カラフルに装飾された山車もいいけれども、もっとも感動的なのは高校生や大学生によるマーチングバンドである。見ていると鳥肌がたつほどだ。トルストイの「イワンのばか」に、わらでつくった兵隊に楽隊を組ませてイワンが悦に入る場面があったが、正月という一種特別な日の娯楽としては、このパレードはもっとも適切なものであるにちがいない。

2006/12/26

長ネギをスーパーで買った。うまいものは洋の東西を問わず、もっと広めて、流布したらいいと思うが、でも長ネギはそれほどでもないのだろうか。うまいと思うけどなあ。

2006/12/12

人を見かけで判断しないようにしたい。狂ったように叫んでいる人を無視してすました顔をしているやつが、実は本当は狂っているのかもしれないんだ。

2006/12/05

アメリカも含め、西洋の人々は、握手とか、抱擁とか、ボディタッチが多く、一見人と人の交わりが緊密のようにみえるけれども、気のせいか、犬も日本のより人懐こい感じがする。

2006/11/26

だれか「赤面舞踏会」という題の一こま漫画をかいてくれませんか?

2006/11/25

得よう得ようという前に、自分の何が与えられるのだろうか。

2006/11/12

来週からアメリカにて在外研究をおこないます。よろしくおねがいします。

電話の使用中止の申し込みをしたのだが、NTT東日本というやつは、使用中止料2000円だの、使用中止日は土日祭日はだめだの、まったくもってサービスがなっていない。その割りに自社製品の宣伝だけはぬかりない。ガスや水道や電気はそんなことはないのに、いったい電話会社というのはどういう精神で商売しようとしているのだろうか。

2006/11/10

虫の声かぼそくなりて夜明け前

2006/11/07

不謹慎なことであるが、災害をともなうような自然現象に対して、興奮する自分がいる。自然の猛威、とはよくいうが、その興奮は、科学的な興味というよりは、もっと原始的な感情である。よく竜巻や津波にのまれる夢をみる。風光明媚な観光地というのはえてして、もともとは人間をふくめた生命からしてみれば、災害現場である。自然に惹かれる気持ちというのは、いったいなんなんだろうか。

2006/11/01

最近テレビのCMで、種ともこの、それもかなり昔の歌が流れている。映画かなにかの主題歌らしい。種ともこファンとしては、うれしいにはうれしいが、なぜに今頃?という気もする。

2006/10/31

秋風や泣かず飛ばずと思うなり

2006/10/28

押しつけの憲法を変えんとし、押しつけの自衛隊を増強して、なお防衛庁も省へ格上げ。なにが押しつけでなにが押しつけでないのかしら。

2006/10/25

洗濯機とか炊飯器とか、やたら高機能の家電が続々出ている。あまりに高機能化、専門化すると、それ以外の仕事ができなくなる。本当に便利な道具とは、基本的な機能を高度に洗練させたもので、臨機応変、人間の調節がきくものだと思うのだが、そういうふうにもいかなくなってきている。

2006/10/22

国会議員というのはいつから世襲制になったのだろうか。

2006/10/18

人が人を裁くなんてことはできない、そんなおこがましいことはできないし、もともとそういった権能は人には与えられていないのだ、というのはまったくそのとおりだと思う。けれども人はとかく正義とか真理なるものを口にし、そうした正義や真理がたったひとつのものだと思い込んで、正義や真理に反するものを批判し、ときに制裁を加える。そして人が人を批判し、制裁を加えるなどという権能は、もともと人には与えられていないのだ、という真理に思いが至るとき、わたくしは口をつぐまざるをえない。

世の中が、おいしいものを食いたい、とか、かわいい女の子とデートしたい、とか、そんなことばかりだったら、ばかやろう!と言ってそれで済むのだが、正義とか真理とか言い出すと、もうどうにもこうにも始末に負えないんだよね。

2006/10/15

わたしの記憶が正しければ、NHK教育の日曜美術館の女性キャスターは、ここ数年、緒川たまき→どこかのおばさん→はなちゃんと経て、現在、檀ふみに至る。ヒット・アンド・アウェーというか、NHKもなかなかやるなあと思う。

2006/10/04

地下鉄の線路をねずみが二匹駆けていた。

2006/10/01

高校時代、「老子」にひとかたならぬ感銘を受けた口であるが、久しぶりに本棚のその本をめくった。

徳を含むことの厚きは、赤子に比す。
蛇 (ほうたいきだ)も螫(さ)さず、猛獣も拠(つか)まず、攫鳥(かくちょう)も搏(う)たず。
骨弱く、筋柔らかくして、握ること固し。
未だ牝牡の合を知らずして、全(さい)作(た)つは、精の至りなり。
終日号(な)いて、嗄(こえか)れざるは、和の至りなり。

(福永光司、「老子(下)」、中国古典選11、朝日文庫、朝日新聞社、1978年)

年を重ね、身体も頭も硬くなりつつある。せめて柔軟体操くらいしておかなければ・・・

2006/09/27

吉田拓郎のコンサートを伝えるニュースがあった。ぼくが吉田拓郎が好きな理由のひとつは、彼の歌い方が、中学校の音楽の先生が教えていたとおりに、あ、い、う、え、お、をはっきりと口を大きく開けて歌うところである。吉田拓郎の歌は説得力があると誰かが言っていたが、そういうところにもその理由があるのかもしれない。

2006/09/26

あんまり文系、理系という区別をつけるのもなんだけれども、文系の議論というのは、まず結論ありきで、それを正当化するためにもっともな理屈をつけようとする節があるのに対し、理系の議論というのは、一応、原理、原則から説き起こして、合理的な結論を導き出そうとする傾向があるように思える。どちらがいいのかは一概には言えないが。

2006/09/14

帰り路や灯りとぼせり菊の畑

病院を訪う人ありて吾亦紅

2006/09/03

「旅行案内・仏印事情」(ジャパン・ツーリスト・ビューロー(日本旅行協会、JTBの前身)、昭和十六年)という古本を手に入れた。仏印というのはフランス領インドシナで、いまのベトナム、カンボジア、ラオスに相当する。当時、軍事国家日本は、「大東亜共栄圏」構想のもと、中国大陸をはじめ、東南アジアへの侵略を着々とおしすすめていた。すでにフランスはドイツに降伏し、日本軍もまた「仏印進駐」を果たしている。たとえば、

仏国(フランス)は印度支那(インドシナ)総督府を東京(トンキン)の河内(ハノイ)に設置していわゆる仏印の統治にあたらしめている。仏印は天然資源の非常に豊富な国である。仏印領有以来すでに五十有余年になり産業も相当発達しているがいまだに未開発の土地が多分に残されている。もしそれ向後仏国が二千万の被征服国民の福祉を念頭に置き、誠心誠意いっさいの利己主義を排して仏印の開化開発にあたるならば仏国は仏印土民の恩人と仰がるるのみならず仏印は実に仏国のすばらしい宝庫となるであらう。しかし現在の仏印と建国数年を出でない満州国の現状とを比較するとき、たとえば両国における交通機関の発達いかんを案ずるに、仏国の植民政策と日本の対満政策とのあいだに著しい径庭あることを見出さぬわけにはいかない。

などというなんともおこがましい文章のあるところが、日米開戦前夜の雰囲気を感じさせる(むろん仏印の鉄道網の貧弱さを強調し、内地日本人の自尊心をくすぐっている)。しかしこの案内書は、総体的にはそんな戦争の重苦しさを感じさせず、風土の特徴、観光ルートや各地のホテルなどの情報を提供し、それはまったく現代の海外旅行ガイドのごとくであり、なんとも平和な空気に満ちている。そうしたことはしらじらしいといえばしらじらしいが、逆にいうと、海外旅行の諸事情、たとえば交通、通貨、通関、衣食住、衛生、周遊観光などというものが、いまも昔も、多かれ少なかれほとんど変わらないものであるということ、すでに60年以上前の習慣、制度が、たいして変わらず、そのままに保たれていることに、あらためて気づかされる。現代日本と戦中の日本とは、決して隔絶しているのではない。戦時下の日本のすべてを忌避するのではなく、もっと果敢に理解していくべきではないか。

2006/07/21

アメリカでは年甲斐もなくユースホステルに泊まった。やっぱり外国の一人旅はホステルに限るなあ、と思う。若いときは周りの目とか気にして、ひとりで食事をするのとかもおどおどしていたが、いまはだいぶそういうのがなくなったような気がする(普通の人に比べたらおどおどしているが)。こうやって年をとってだんだん厚かましくなっていくのであろうか。

2006/07/10

先々週から先週にかけてアメリカに行った。コロラド州のデンバー空港というところに降り立ったのだが、とてつもなく広大な敷地に驚いた。かねてから各国の空港のありさまの違いに興味をもっていたので、小一時間ばかりかけてこのような比較表をつくってみた。やはりデンバー空港の巨大さは群を抜いている。ところで成田空港は政府の土地収用のやり方のまずさに起因する大変な問題を抱える空港であるが、大きさだけ見ると、他の大都市の空港と比べてそんなに遜色ない感じを一見与える。しかしそれは計画通りにすべての滑走路が完成すればの話であって、日本国政府のやり方のずさんさのために、今のような不便な空港になってしまっている。ただ新しくなった第1ターミナルはまずまず使い勝手がよかった。

北朝鮮のロケット発射に日本は大騒ぎしすぎだ、とはまったくそのとおりだよ。アメリカの核実験にもっと大騒ぎしろよ。

2006/06/06

コロネパンを買い食いしたら、案の定、知らぬ間にチョコクリームがおしりから出て、ズボンにべっとりついていた。

2006/01/26

久しぶりに銭湯に行った。銭湯のテレビで、足に障害のある人がスポーツに打ち込んでいるようすがちょうど紹介されていて、その人は、同様の障害をもつ先輩からもらった、「がんばれ」と書かれた色紙を、ことのほか大切にしているのであった。なんということのないことのようであるが、この「がんばれ」は「顔晴れ」と漢字で書かれていて、顔が晴れ晴れするような限りにおいてがんばれ、という意味なのだそうで、いたく感じ入った。いい風呂あがりであった。しかしその後、インターネットで「顔晴れ」を検索すると、1万件以上もヒットしたところをみると、すでにかなり人口に膾炙した言い方なのだったろうか。やや湯冷め。

2006/01/18

今年は冬の小鳥が少ないような気がする。数十年ぶりの寒波到来で小鳥もどこかにいったのだろうか。


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