秋田魁新報社では、毎月ごとにその月に生まれた赤ちゃんの名前を広告する企画をおこなっている。秋田近辺で生まれた赤ちゃんの両親もしくはその親類などが新聞社に掲載を応募するようになっている。さて2002年8月19日付の秋田魁新報朝刊に見開き2ページで掲載された、同年7月に生まれた赤ちゃんの名前を以下に列挙してみたい。
なまえ 性別 読み 夢叶 男 ゆうと 麗羽 女 れいは 栞 女 しおり 優亜 女 ゆあ 心 女 こころ 涼華 女 すずか 陽南 男 ひなた 久貴 男 ひさき 友貴 男 ともき 夏姫 女 なつめ 玲香 女 れいか 和歩 男 かずほ 愛斗 男 まなと 郁哉 男 ふみや 佳祐 男 けいすけ 優 男 ゆう 怜旺 男 れお 颯一 男 そういち 優 男 ゆう 京進 男 けいしん 璃子 女 りこ 叶未 女 かなみ 彩奏菜 女 あかな 稚菜 女 わかな みなみ 女 みなみ 咲良 女 さくら 歩夢 男 あゆむ 瑞歩 女 みずほ 航大 男 こうだい 渉 男 わたる りんか 女 りんか 華奈 女 かな 廉 男 れん 乃愛 女 のあ 大斗 男 だいと 野彩 女 のあ 温 女 のどか 拓優 男 たくひろ 拓駿 男 ひろとし 良太 男 りょうた 伊織 男 いおり 駿 男 しゅん 和永 男 かずと
なまえ 性別 読み 凱 男 がい 理衣 女 りこ 由宇大 男 ゆうだい 秀悟 男 しゅうご 優那 女 ゆうな 夏菜 女 かな 和夏 女 のどか 明日香 女 あすか 深優 女 みゅう 七愛 女 なない 遼汰 男 りょうた 杏莉 女 あんり 凪咲 女 なぎさ 李香 女 ももか 岳久 男 がく 匡晃 男 まさあき 大樹 男 たいき 貴徳 男 たかのり 航佑 男 こうすけ 颯良 男 そら 新汰 男 あらた 亜美 女 あみ 愛音 女 あのん 小夏々 女 こなな 青空 男 そら 寛穂 男 かんすい 若菜 女 わかな 歩希 男 ほまれ 伊吹 男 いぶき 栞那 女 かんな 南緒 女 なお 愛華 女 あいか 心笑 女 ここえ 一真 男 かずま 有希子 女 ゆきこ 優心 女 ゆみ 恭太 男 きょうた 翔哉 男 しょうや 駿哉 男 しゅんや 優 女 こころ 拓也 男 たくや 華 女 はな 美桜 女 みおう
なまえ 性別 読み 勇咲 男 ゆうさく 東麿 男 とうま 小夏 女 こなつ 泉匡 男 いずき 暖 女 のん 悠貴 男 はるき 怜音 男 れお 加菜子 女 かなこ 凌風 男 りょふ 愛夕 女 あゆ 彩夏 女 あやか 魁生 男 かいせい 愛弥香 女 あやか 姫音 女 ひめね 海斗 男 かいと 颯 男 そうや 加琴 女 かこと 菜野香 女 なのか 洸翔 男 ひろと 花萌 女 はなめ 愛菜 女 あいな 愛海 女 まなみ 航大 男 こうだい 音花 女 おとは 心愛 女 ここあ 昴星 男 すばる 莉帆 女 りほ 優花 女 ゆうか 花鈴 女 かりん 愛花 女 あいか 星南 女 せいな 涼壮 男 りょうせい 絵莉亜 女 えりあ 璃音 男 りおん 愛弓 女 あゆみ 紗羅 女 さら 凪沙 女 なぎさ 美羽 女 みう 滉太 男 こうた 純太 男 じゅんた 希果 女 ののか 大樹 男 だいき
以上は7月1日から14日までに生まれた赤ちゃん128人分の名前を全身全霊をこめて転写したものである。紙面にはこれに加えて7月後半に生まれた赤ちゃんの名前も掲載されているが、気力が尽きたので省略した。また実際は苗字と父母の名前、それと出生地の市町村名まで載っているが、それも省略した。
さて小一時間もかけて128人の赤ちゃんの名前を新聞から転写したのは、最近の赤ちゃんの名前の、悪く言えばきてれつさ、良く言えば斬新さ、ユニークさを紹介したいがためであった。
よその家庭のことをとやかく言うのもなんなんだけれども、やはりわたくしなどからすればおかしな名前、へんてこりんな名前がいくつか見当たる。まず名前の読みそのものが耳に新しい響きをもったものがある。また漢字の当て方がおそろしく斬新なものがある。あまり例をあげるとその人の名誉に関わるかもしれないが、たとえば「愛(あい)」を「あ」、「音(おと)」を「お」、「心(こころ)」を「ここ」、「衣(ころも)」を「こ」など、漢字の読みに関して、これまでの常識では一般にはうけいれがたいと思われるある種の省略法が発明されているようである。
旧時代的な観念をもっているわたくしのようなものからすると、とはいってもおそらく彼ら赤ちゃんの両親とわたくしとは同世代のはずだけれど、やはりこういったきてれつな名前は、どうしても受け入れがたいものがある。
これは流行である。価値観の変容である。流行はいつの時代にもあった。100年前、1000年前の日本人の名前は、いまとずいぶんちがったものだったろう。
にもかかわらずわたくしがここで直面した名前に関する奇抜な趣味の台頭は、ただの流行の一語では済まされぬもののような気がする。なにか危機的な予感さえする。
たとえばこれはわたくしの世代の人々の国語力の低下の結果であると解釈できる。わたしたちには漢字や漢語の知識が欠落しているのである。これまでは知識がないなりにもいろいろな参考書などにあたってなんとかかんとか漢文的な日本語を駆使していたのに、いまになって、もはや勉強する努力を放棄し、自分で勝手なことばや文法を発明して、それで済ましているのである。
要するに、ここに文化の隔絶がある。まったく異質な文化への飛躍がある。
日本の文化は、生生流転、今日に至るまでずいぶんとその様相を変えてきたのであろう。ただここにみる日本人の名前ということに関して、わたくしはなんとも嫌な、破滅的な予感をいだくのである。
2002 年 9 月 1 日
補記
「心」を「ここ」と読むのはキムタクの娘の名前の影響であることは疑いをいれないであろう。
つまり有名人の名前の影響を受けている。「おとは」、「あゆ」、「れお」など。このことじたいはごく自然で、健全であると思う。
有名人、グラビアアイドル、コミックやアニメのキャラクターなどにわけのわからない名前が多いことが、わたしたちしもじもの人間の名前にへんてこりんなのが増えてきていることの一因であるといえよう。
とはいっても、すでに変てこりんな名前というのはこれまでも発明されてきていたことは事実。いまに始まったことではないかもしれない。
これは新聞に掲載されたものであるから、必ずしも現代の赤ちゃんの名前の平均ではなかろう。もしかしたらこの新聞社の企画は、変わった赤ちゃんの名前発表会みたいな性格をもったものなのかもしれない。
追
漢字の読みに関してちょっとこばかにしたわけだが、万葉集などみると、けっこうすごい漢字の読みをしている。これは万葉精神への復古であるということなんだろうか。
2008 年 2 月 19 日