砂粒の謎-出自を解く (3)

 地質学は、地球を研究する老舗の科学であるが、その基本哲学は「現在は過去の鍵である」との言葉に象徴的な斉一主義である。地球の過去のことを知ろうと思ったら現在地球で起こってることの原因と結果を明らかにしてそれを過去に適用しなさいという意味だ。19世紀前半にチャールズ・ライエルというイギリスの地質学者が強調した「地質学原理」だ。チャールズ・ダーウィンの友人でもあり、生物進化論の成立に多大な影響を与えたことでつとに有名だ。
ちなみに創立200年を超え、ロンドン地質学会は当然にも世界で最も古い。日本の地質学会は120年あまりである。
 そのイギリスのオクスフォード大学を卒業し、エジンバラで学位をとったピーター・クリフ氏が日本の河川の砂を分析し、その結果が2013年夏に公表された。富士川、天竜川、長良川、木曽川、そして淀川である。そしてチャールズ・ライエルの大学、ロンドン大学の分析装置で、ジルコンのウラン・鉛年代、フィッショントラック年代、そしてアパタイト・フィッショントラック年代を調べ上げたのだ。さすがに斉一説の本家だ。すばやい!最近は地殻変動(テクトニクス)とアジアモンスーンの気候変動の関係を解くことに大きな関心を示し、精力的に動き回っている氏らしい。氏はいつもパソコンを開いて論文を書いている。イギリスなまり(?)の英語で実に良くしゃべる。あちこちの海で掘削をしようといくつもの提案書を書いている (http://lsu.academia.edu/PeterClift/CurriculumVitae)。
 砂の分析の結果を見ると大変に興味深い。河川は流れ込む支流の源流部まで遡って土砂を作り出し運ぶ。そしてそれが河口に集まる。だから河口の砂粒について上に記した分析を行えば、その河川の個性が分かるのだ!そしてその河川の個性がつまびらかになったのだ。
 富士川、これは日本の中央山岳地帯から発し多くの火山地帯から流れてくる。砂粒がやはり極めて若いのだ。アパタイト一千万年、ジルコン・フィッショントラック年代も最も多いのは一千万年以下、そしてジルコンウラン鉛年代も一千万年以下と出た。これはこの地域の火山活動がいつから本格的にはじまったのか、そしてどんどん隆起して削られたのかということと密接に関係していたのだ。
 それに対して他の河川の砂粒は全く違う。(2013, 12, 06) AGU出張のため、次回は12/15以降となります。すいません。

砂粒の謎ー出自を解く(2)

 それはアパタイトという鉱物である。聞いたことがあると思う。そう、私たちの体の中の石、歯や骨を構成してるリン酸塩鉱物だ。自然界のそれはわずかながらウランを含んでいて、やはり自発核分裂に伴う飛跡を残す。しかし、その飛んだ傷跡が癒されるのは、ジルコンよりずっと低く125℃程度以上。だから、ジルコンのウラン鉛年代、フッショントラック年代、アパタイトのフィッショントラック年代とつなげると、砂の集団としての履歴、特に冷却の年代が分かることになる。京都大学の田上高広教授や金沢大学の長谷部徳子氏、京都フィッショントラック株式会社らの研究チームが長年粘り強く研究を続けてこられている。
 加えて、ここ数年、地層や岩石の年代をジルコンのウランー鉛年代を計って出自や履歴を解く研究の一大ブームが起こり始めている。いわば地球の岩石のDNA研究と言って良い。

 さて、それで南海のどのような謎に挑戦し始めたのであろうか? 地球深部探査船「ちきゅう」によってこれまで長大な堆積物のコアが回収された。南海トラフの海溝から大陸斜面、海溝の外側のフィリピン海プレートの上の堆積物を全部貫き、基盤の玄武岩までと多様である。それらの中に含まれる砂粒の分析は、この南海トラフでどのようなことが起きて現在に至っているのかという歴史を知る上で極めて重要な情報を与えてくれるのである。それと共に、今のプレート境界に潜り込んで行った時にどのような役割を果たすのかも示唆してくれる宝物なのだ。ジルコンやアパタイトはもちろん宝石としても重要な価値を持つが、お金では買えない価値があるのだ。
 そのことに入る前に、もう少し準備が必要だ。前置きが長くなるけれどちょっと辛抱して読んで欲しい。現在の河口の川砂からはじめよう。(2013, 12, 03)


砂粒の謎ー出自を解く(1)

 砂丘、砂浜、砂州、砂漠、土砂、砂礫、など砂という字のついたものは自然界にたくさんある。砂とは誰でも知っている。地質学では砂の定義として、粒の大きさが径2mm~16分の1mmの間にある粒子の集まりと決められている。泥、砂、礫とは粒の径の大きさを2mmのベキ乗で決めるのである。それとは別に構成している粒子の種類で決める定義と重ね合わせる。ほとんど全ての粒子が石英(水晶)の結晶の集まりである砂は石英砂という具合に。海岸で「鳴砂」(なきすな、なりすな)の名でよばれるところの砂はこの石英砂からなるところがほとんどである。
 海岸の砂は、元々は山を構成する岩石の一部であったものが風雨にさらされ、地震で揺すられ、崩れ、ついにはバラバラとなって谷川を下り、海岸にたどり着いたものだ。しかし、砂の流れ着く終着点は海岸ではない。海の中でも流れ続け、ついには深海底までたどりつく。
 砂を構成する粒子は、崩れた元々の岩石の種類を反映する。そして砂の流れた旅の距離と時間が長ければ長いほど強い粒子だけが残されて行く。「鳴砂」は花崗岩が崩れた果てに花崗岩を構成する鉱物で強い石英だけが生き残り出来ることが多い。その残された砂の強い粒子の中に、源となった岩石の出自と履歴の分かる画期的な結晶があるのである。
 その名はジルコン。化学組成はZrSiO4。金色に輝くものは宝石である。このジルコンが実に強い。堅く、機械的にもなかなか壊れない。温度の低いマグマだまりに落ちたくらいでは融けない。おまけに微量元素としてウランを含んでいる。ウランにはご存知にように放射性同位体があり、放射能を出す。崩壊して最後は鉛になる。
地球上にある全ての岩石は、出自をたどるとマグマがはじまりである。
 温度が1000℃にも達するドロドロに熔けたマグマが地下で冷えて固まる過程で結晶ができる。ジルコンは約750℃以下になると放射能をだしはじめる。従って、ジルコンに含まれているウランと鉛がどれくらいあるかを計ってやればジルコンが約750℃程度であった年代がわかるのである。またジルコンが生まれた後にマグマだまりに落ちたとしても融けないで結晶の芯は残る。そして周りが少し成長する。従って最初に生まれた年代だけではなく、その後の履歴まで分かってしまうのである。これは焦点を絞ったレーザーを使ってジルコンを微少量取り出し、その計りたい部分の年代だけを計るという最近の優れた技術の進歩のなせる技なのである。
 さて、ジルコンが砂粒に隠された”DNA"を解くようなことだというのは、生まれた年代が分かるというだけではない。それが地下深部から地表へあがってきて砂粒になるまでの途中の道筋が分かるのだ。
 ウランが自発核分裂によって鉛に変わって行く時に、分裂後のウランの原子核がジルコンの結晶を壊し、飛んだ跡を残す。その傷の数を数えると年代が分かる。この方法を飛跡(フィッショントラック)年代測定法という。ところがこの飛跡はジルコンの温度が摂氏250℃以下でないと、癒されてしまって消えてしまうのである。250℃~350℃程度だと飛跡は短くなる。すなわち地下深くで350℃以上の温度の高い状態では飛跡は残らない。地球は地下深くなると温度が高くなる。日本列島ではだいたい1km深くなると30℃程度高くなる。だから地下2km程度掘り、そこに水脈があればどこでも温泉に当たる。
 従って、地下12km程度より深くなるとフィッショントラックは残らないのである。これを逆に利用して、かつて地下12kmより深くにあったジルコンが地殻変動によって隆起し、それが10km程度まであがってきた時の年代がわかるのである。
 マグマの年代、そしてその冷却の年代と2つの年代が得られることになる。この2つだけでもジルコンの出自を探るには絶大な情報をもたらすのである。
 砂とは、いろんな鉱物の粒の集まりであるから、ジルコンではなく同じような鉱物があれば、こんどは集団としての砂の出自に関しても推定出来ることになる。そのようなものはあるのであろうか? 実はあるのである。(2013, 12, 1)


はじめに

はじめに
 高知の桂浜に、遠く大海原を望む坂本龍馬の大きな像がある。その大海原は太平洋、南海である。水をたたえる海として、日本では太平洋と呼んでいるが、国際的にそこの名称はフィリピン海である。
東は、小笠原、グアムやサイパンの島々、南はヤップ、パラオそして西をフィリピン諸島で囲まれた海がフィリピン海である。この海の下の海底の岩盤はフィリピン海プレートと呼ばれ、太平洋の下の岩盤とは所属が異なる。このフィリピン海プレートが日本に押し寄せてきて九州、四国、紀伊半島沖の南海トラフという海溝から地球に内部へ潜り込んでいる。その結果として、日本では繰り返し大きな地震と津波に見舞われてきた。
 このフィリピン海プレートと南海トラフ、そしてそこで起こっている地震や火山活動、地殻変動は謎に満ちあふれている。1960年代に私たちの住む地球では、大地の運動がプレートテクトニクスという理論によって理解されることがはじめて分かった。地球の理解に革命が起こったと言われた。その時代はアポロ計画によって月へ人類を送り込むことに成功した時代であった。そして足下の地球のこともはじめて分かり、地球や惑星の科学が輝いた時代なのであった。1970年代から80年代、フィリピン海プレートと南海トラフ、そして日本列島の成因、運動を巡って活発な議論が展開された。それから半世紀の時が流れた。
 2011年3月11日、東日本大震災が起こった。プレートテクトニクス理論によって日本列島の形成や海溝で起こる地震などに関して相当に分かってきたという思い込みが一瞬にして吹き飛んだ。「想定外」の「想定」の中には、プレートテクトニクス理論に基づく「想定」も含まれていた。そして、南海トラフで起こるであろう地震と津波の「想定」は最大限まで押し上げられ、日本全国がその防災対策に追われている。
 しかし、1980年代にいったん落ち着いて、かつて想定の元となったフィリピン海プレートと南海トラフの謎解きはどうなっているのであろうか? 実はそれも最近の急速なデータの蓄積によって大きな議論の渦が巻き起ころうとしている。
 私たちは、2007年以来、南海トラフのプレート境界で起こる地震の源の断層まで達する掘削によって、そこで起こる地震の謎解きに挑戦している。この掘削によって、地震と断層の謎解きだけではなくフィリピン海プレートと南海トラフの生い立ちや日本列島の生い立ちにまで遡ってこれまでの常識を覆す発見がつづている。しかし、一方科学の常としてますます謎が深まってもいるのである。本連載はそれらを研究の現場の現在進行形の記録風に記していこうと思う。

 間もなく師走、「ちきゅう」は南海トラフで掘削をつづけている。来週にはサンフランシスコにて恒例のアメリカ地球物理学連合の大会がはじまる。
(2013, 11, 29)

Philippine_Sea_location.jpg

http://ja.wikipedia.org/wiki/フィリピン海